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Archive for the ‘正信偈と心’ Category

正信偈・冒頭の二行

0 3月 5th, 2009

正信偈の最初の二行について簡単に意味を説明しましょう。
正信偈最初の二行は「帰命無量寿如来南無不可思議光」と書かれています。

これは、「無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる」と読みます。

無量寿如来とは、阿弥陀如来の別名です。
不可思議光とは、不可思議光如来を略したもので、これも阿弥陀如来の別名です。

釈迦如来と阿弥陀如来は、同じ仏さまだろう、他にも大日如来とか薬師如来とかいわれる仏さまもおられるが、レッテルが違うだけで結局同じなのだろうと思っている人が多くあるようです。
しかし、釈迦如来と阿弥陀如来はまったく違う仏さまです。

蓮如上人の書かれた御文章という有名な仏教の本には「阿弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり」ということが書かれてあります。
この地球上の仏さまはお釈迦さま一仏ですが、大宇宙には地球のようなものが数え切れないほどあり、そこに仏さまが現れておられますから、数え切れないほどの仏が大宇宙におられ、これらの仏を十方諸仏とお釈迦さまは教えておられます。

お釈迦さまをはじめとした大宇宙の仏さまの先生が阿弥陀如来という仏さまなのです。

その阿弥陀如来のことを正信偈では無量寿如来・不可思議光といわれているのです。

次回は南無、帰命とはどういう意味なのか、次回書きたいと思います。

正信偈は正しい信心の歌

0 2月 27th, 2009

前回も書きましたが、正信偈を多くの人がお経だと思っているのは、すべてが漢字でかかれているからでしょう。
ですが、あくまでお経とは、お釈迦さまの説法をそのまま書き記したものです。

さて、正信偈の「偈」というのは「うた」という意味なんです。
ですから正信偈のは節のある「うた」なんですね。
正信偈というのは親鸞聖人が何としても知ってもらいたいことすべてが凝縮しているのですが「正信偈」の「正信」とは「正しい信心」のことを意味しています。

「信じる心」とありますが、神や仏を信じることだけが信心ではないのです。
自分の心の中で何かを支えとして頼りにするということすべてが信心なのです。
「特別信じるものがないよ」という人でも、何かしら自分の信念を信じていたり、なにかを頼りにして生きているのではないでしょうか?!
もっというと、信じているものがあるからこそ生きていくことができるのではないでしょうか?
何一つ信じられない世界を想像してください。
ゾッとしませんか?

そして人は信じていたものに裏切られたとき、悲しみ苦しみます。
恋人に裏切られたり、会社に裏切られてリストラされたりするとひどい悲しみや苦しみを感じずにはいられないと思います。

親鸞聖人が正信偈で明らかにされているのは、本当の幸せをつかみたければ決して裏切られない正しい信心を持たなければならないからなのです。