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Archive for the ‘宗派と正信偈’ Category

弥陀の救い

0 6月 18th, 2009

正信偈の冒頭に「帰命無量寿如來南無不可思議光」とあるように、全く同じことを二度繰り返しているというのは、親鸞聖人が言っても言っても言い足りない、書いても書いても書き足らない喜びの無限の波動をあらわしているのです。

親鸞聖人が繰り返して生命の歓喜を叫ばずにおられなかった弥陀の救いというのはどんなものなのでしょうか?!
正信偈最初の二行で生きている今、弥陀に救われたということがある、そしてそれはハッキリする、ということが分かります。

親鸞聖人が「阿弥陀如来に救われたと」と言われているのは言葉を変えていうと「人生の目的が完成した」ということなのだそうです。
人は何のために生まれてくるのか?なぜ生きているのか?どうして自殺をしてはいけないのか?その答えがハッキリし、人生の目的を達成されたことだと教えてもらいました。

本当の人生の目的を知って、それを完成させ「人間に生まれてよかった」と本当の幸福になるために生きている・・・・。
素晴らしいことですね。

真の人生の目的を達成された喜びが、正信偈の最初の二行に書かれているわけですが、
その人生の目的を、歎異抄では「摂取不捨の利益」を獲ること「無碍の一道」へ出ることだと書かれています。
この「摂取不捨の利益」も「無碍の一道」も今の日本語でいいかえれば「絶対の幸福」ということになり、どんなことにも絶対に壊れない、崩れない無上の幸せのことです。

次回は、親鸞会で聞かせてもらったことについて調べていきたいと思います。

正信偈の「如来所以興出世唯説弥陀本願海」とは

0 5月 27th, 2009

今回は正信偈に出てくる如来所以興出世唯説弥陀本願海についてお話したいと思います。
正信偈というのは、親鸞聖人の「教行信証」の6巻すべての内容を大切な教えだけを凝縮し抜粋したものなのです
そして、正信偈の冒頭は歎異抄の冒頭にもあるように親鸞聖人自らの阿弥陀仏に救われたことが書かれてあります。

そんな正信偈ですが、冒頭ばかりを調べるのではなく今回は「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」の2行について調べていきたいと思います。

如来、世に興出したもう所以は、唯弥陀の本願海を説かんがためなりと読みます。
まず最初の一行から説明いたしましょう。

如来とは、釈迦如来、お釈迦さまのことです。

お釈迦さまがこの世、この地球上に、興出、生まれでられた、所以、目的は、こらが最初の一行です。
ですからこの正信偈の一行の意味は

「お釈迦さまがこの地球上に現れられた目的は」ということです。
お釈迦さまが仏教を説かれた目的は、と言い換えてもいいでしょう。

唯説弥陀本願海の唯説とは、唯一つのことを説かれたのだ、という意味です。
お釈迦さまは45年間仏教を説かれていますし、その教えは7000冊以上のお経として書き残されていますのでたくさんのことを教えられているのだろうと普通思われると思いますが、お釈迦さまは唯一つのことを教えられたのです。

ではお釈迦さまが教えられたただ一つのこととは何でしょう?
親鸞聖人は正信偈に「それは弥陀の本願である」と書かれています。

お釈迦さまが仏教を説かれた目的は、ただ弥陀の本願一つを説かれるためであったと親鸞聖人は正信偈に断言しておられるのです。

これはお釈迦さまが説かれた7000冊以上ものお経を全部読んで理解しないと言えないスゴイ言葉なのです。

このようなことを親鸞会というところで教えてもらうことができるそうなので近々おとづれたいと思います。