釈迦の『本願成就文』40字の教えについて、親鸞聖人は『教行信証信巻』にこう言われています、
「横超」とは、すなわち願成就一実円満の真教・真宗これなり。
語句の意味は、
・横超……阿弥陀仏の本願。
・願成就……本願成就文。
・一実……大宇宙に二つと無い真実の教え。
・円満……完全無欠の教え。
・真教……まことの教え。
・真宗……真実の宗教。
ということですから、これは親鸞聖人が、
「『阿弥陀仏の本願』とは、イコール釈迦の『本願成就文』の教えである。釈迦の『本願成就文』の教えは、大宇宙無二の真実の教えであり、完全無欠の教えであり、真実の宗教なのである」
と言われているお言葉です。
釈迦の『本願成就文』が、弥陀の『本願文』36文字の一部だけの解説ならば、そんな不完全な教えを「円満」とも「真教」とも言われるはずがありません。『本願文』総ての解説であるからこそ「一実円満の真教」と聖人は絶讃されているのです。
当然ながら、「体失不体失往生の諍論」で論点になっている、『本願文』の「若不生者不取正覚」の8字について、釈迦は『本願成就文』に解説されています。それが、
「即得往生住不退転」
の八字です。これは釈迦が、
「弥陀が本願文に
『若し生まれさせることができなければ、仏の命(正覚)を捨てる』
と誓われている「生まれる」とは、
『即ち往生を得て、不退転に住する』
ということなのだよ」
と鮮明にされているお言葉です。これは、どんな意味なのか。
「死後」のことなのか、「現在」のことか。ここが、
「弥陀の本願」は「体失往生」か、「不体失往生」か、の分かれ目ですから、極めて重大です。
親鸞聖人は、これを『愚禿抄』に、
「信受本願
前念命終
即得往生
後念即生」
と明らかにされています。次回、続けましょう。