Line

已能雖破無明闇

0 8月 4th, 2011

「已能雖破無明闇」と言われているお言葉の、
「破無明闇」
とは、「無明の闇を破す」と読みます。ここで親鸞聖人は、
「人生の目的は、無明の闇を破ることである」
と、明らかにされているのです。

●なぜ生きる●

私たちは何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、どんなに苦しくても、なぜ自殺してはいけないのか。これが「人生の目的」であり、平易な言葉で「なぜ生きる」です。

政治も経済も、科学も医学も、倫理も道徳も法律もスポーツも、人間のあらゆる営みは、「より快適に、少しでも長く生きる」ための努力と言えるでしょう。
教育現場では、子供たちの〝生きる力〟を養おうと必死に取り組みがなされています。CO2の削減目標を高く設定し、エコカー減税やエコポイントを導入したのは、「地球環境を守り、生命を存続させるため」でしょう。
では、どうして命を守らねばならないのか。強く生きて何をするのか。私たちは一体、なんのために生まれ、生きるのか。この「生命の尊厳」「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな政策も技術の進歩も、水面に描いた絵に終わってしまうのではないでしょうか。
「人生に目的はあるのか、ないのか」
「生きる意味は何なのか」
どこにも明答を聞けぬ中、親鸞聖人ほど人生の目的を明示し、その達成を勧められた方はありません。『正信偈』にはズバリそれを、
「破無明闇」(無明の闇を破ることだ)
と、断言されているのです。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元である『無明の闇』を破り、〝よくぞこの世に生まれたものぞ〟の生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、この目的果たすまでは生き抜きなさいよ」
聖人、九十年のメッセージは一貫して、これしかありませんでした。すべての人の最も知りたい「なぜ生きる」の答えを、鮮明にされた方が親鸞聖人ですから、世界の光と言われるもうなずけます。
では「無明の闇」とは、何か。これを正しく知ることが、生涯かけての最大事になってくるのです。

●苦しみの根元「無明の闇」とは●

「無明の闇」とは、分かりやすく言えば、「死後どうなるか分からない、後生暗い心」のこと。「後生」とは死後のことで、私たちの百パーセント確実な行く先です。禅僧・一休は、
「世の中の娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで婆と散りゆく」
と歌いました。女性は、娘から嫁、嫁から嬶、嬶からお婆さんへと、どんどん進んでいきます。お婆さんが嫁になったり、嬶が娘になったり、という逆行はない。男も呼び名が違うだけで、すべて同じコースをたどります。だんだんと体力は衰え、病気がちになり、ケガもしやすくなり、物忘れが進み、気力も萎えてくる。どんなに美容整形を施してみても、悲しいかな、避けられないのが「老い」です。
だが、老後で終わりではありません。「散りゆく」と一休が言うように、必ず死んでいかねばなりません。しかも、いつ死ぬか分からない。
年金がちゃんと満額もらえるのか、多くの人が制度に不安を感じていますが、それは「受給年齢まで生きておれる」ことを前提にしてのこと。その年になる前に、事故や病気であっさり死ぬこともある。早ければ今晩かも知れません。
では、死んだその先は、どうなっているのでしょうか。
死んだら天国とか極楽とか言うけれど、本当だろうか。楽しいところへ往けるような気もするけど、ひょっとして暗いところかも……。

「死ぬ」ことを、よく「他界」といわれます。〝この世とは違う、他の世界に行く〟ことですが、他の世界とはどこなのか、ハッキリしているでしょうか。いろいろ想像はしても、確証はない。〝千の風になる〟と言われても、ピンとこない。〝死んだら死んだ時だ〟と強がってみても、どうもスッキリしない。〝死後は無になる〟の信念にも、根拠がない。心はなんだかぼんやりしています。
気楽に考えている人は「念仏さえ称えておれば極楽へ往けるのだろう」と淡い想像をし、自己を真面目に見つめている人は「こんな私は暗い世界へ行くのではなかろうか」と恐れおののく。「でも、そこはお慈悲な阿弥陀さま、なんとかしてくださるだろう」と希望を抱きもする。
いずれにしても、ハッキリしていない。どこへ行くかも分からないまま、一日一日、着実に後生に向かって突き進んでいる。これが、紛れもない私たちの現実ではないでしょうか。

死を遠くに追いやっている間は気づかなかったが、ひょっとして今晩かもと、死を凝視して魂を後生へと送り出してみると、なんとも言えぬ不安な、恐ろしい戦慄を覚える。崖っぷちから千尋の谷底をのぞき込んでいるような薄気味悪い、真っ暗な心が胸一面を覆います。
たとえ命永らえて二十年、三十年生きたとしても、過ぎてしまえばアッという間です。一瞬で「後生」に入って行く。その「後生」がどうなっているかハッキリしない暗い心を「無明の闇」といわれ、この闇こそが、人生を苦に染める元凶なのだと、親鸞聖人は断定されているのです。そして、この「無明の闇を破る」ことが、人生の目的であることを、

「破無明闇」

と漢字4字で仰っているのです。

Comments are closed.