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印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機

0 2月 28th, 2012

印度西天之論家 印度西天の論家、
中夏日域之高僧  中夏日域の高僧、
顕大聖興世正意  大聖興世の正意を顕し、
明如来本誓応機 如来の本誓機に応ずることを明す

「印度」も「西天」もインドのこと、「論家」は菩薩のことですから、
「印度西天の論家」
とは、インドに現れられた「龍樹菩薩」と「天親菩薩」のことを言われています。
次に「中夏日域の高僧」の「中夏」とは中国、「日域」とは日本のことです。「中国の高僧」は、曇鸞大師・道綽禅師・善導大師の三方、「日本の高僧」とは、源信僧都・法然上人のお二人のことを言われています。
これら七人の、インド・中国・日本に現れられた高僧方を親鸞聖人は、
「印度西天の論家、
中夏日域の高僧」
と言われているのです。

その七高僧方が、
「大聖興世の正意を、顕らかにされたのだ」
と次に言われている「大聖」とは「お釈迦様」のこと、「興出」とは「現れられた」こと、「正意」は「本当の御意」ということですから、この三行は、
「インド・中国・日本に現れられた七高僧方が、
釈迦がこの世に現れられて、仏教を説かれた本意を、
顕らかにして下されたのだ。なればこそ親鸞、救われることができたのだ」
と、その御恩を喜ばれ大活躍を讃えておられるのです。

では七高僧方は、どのように釈迦の本意を鮮明にされたのか。次に、
「如来の本誓、機に応ずることを明す」
と教えられています。
「如来の本誓」とは、「阿弥陀如来の本願」のこと。
「機に応ずる」と言われている「機」とは、私たち人間のことです。
世の中にはいろいろな人があります。男もいれば女もいる。国や言葉も違えば、顔かたちも違う。感情的な人、理屈っぽい人など、それぞれですが、
「阿弥陀如来の本願は、どんな人にも適応する」ことを、
「如来の本誓、機に応ずる」と言われているのです。
ちょうど水が、どんな器にも、器に応じて入るようなものです。丸い器なら丸く、四角い器なら四角く水は入ります。水が器を選んで、こんな器には入らない、適応しない、ということはありません。
同様に、阿弥陀如来の本願は、
「どんな人をも必ず助ける」
と誓われたお約束であることを、七高僧方が明らかにして下されたことを、
「如来の本誓は機に応ずることを明かす」
と言われているのです。

では、七人の高僧方とはどんな方で、どのように「大聖興世の正意」「如来の本誓」を明らかにされたのか。親鸞聖人は『正信偈』のこの後に詳しく、それぞれの方のご活躍を紹介され、功績を讃えておられるのですが、ここでは略説しましょう。

(1) 龍樹菩薩
約千九百年前、インドの人。
釈尊がお経に、「私の死後七百年のち、南インドに龍樹という者が現れ、大乗無上の法を伝えるであろう」と予言されている、その通り大活躍された方。
今日「小釈迦」と呼ばれるほど、仏教の諸宗派から尊敬され、『御文章』にも「八宗の祖師龍樹菩薩」(一帖目十四通)と言われている。
『十住毘婆沙論』に、仏教を「難行道」と「易行道」に分けられ、易行の「弥陀の本願」を勧められている。

(2) 天親菩薩
約千七百年前、インドの人。「世親菩薩」ともいわれる。
『浄土論』は、『大無量寿経』の註釈書。仏教で「論」といえば『浄土論』のことを指すほど有名。『往生論』ともいわれる。
「千部の論主」といわれるほど、多くの著書がある。

このお二方のことを、親鸞聖人は「印度西天之論家」と言われています。
次に、仏教はインドから中国に伝わりました。

(3) 曇鸞大師
約千五百年前、中国の人。
聖人は名前の「鸞」の字を、曇鸞大師から頂かれた。また、『高僧和讃』の数が一番多く(三十四首)ある。『正信偈』には「本師」と仰っている(他には直接のお師匠・法然上人のみ)ことからも、いかに曇鸞大師を尊敬されていたかが知られる。
『浄土論註』は、天親菩薩の『浄土論』を解釈されたもの。「註」とは解釈のこと。仏教で「論註」と言えば『浄土論註』を指す。『往生論註』ともいわれる。

(4) 道綽禅師
約千四百年前、中国の人。
主著『安楽集』に、仏教を「聖道仏教」と「浄土仏教」の二つに分けられ、「聖道仏教では助からぬ。浄土仏教・弥陀の本願のみを信じよ」と、断言して教えられた。これは道綽禅師のような方でなければできないことであったと、偉大な功績を、
「道綽決聖道難証
唯明浄土可通入」(正信偈)
と讃嘆されている。

(5) 善導大師
約千三百年前、中国の人。中国で最も仏教の栄えた唐の時代。
親鸞聖人は『正信偈』に、
「善導独明仏正意」
(多くの僧侶がいたが、「仏の正意」に明らかであったのは、善導大師お一人であった)と絶賛されている。
「大心海化現の善導」(仏さまが、極楽から姿を変えて現れられた方)とも言われている。
『観無量寿経疏』は、釈迦の『観無量寿経』を解釈されたもの。夢に現れた仏の教導を仰いで著されたので、
「写す者は経の如くせよ。一字一句、加減すべからず」
と、自ら仰っているお聖教。

このお三方を、「中夏の高僧」と言われています。
それから日本に伝来した仏教を、このお二人が正しく伝えて下されたのだと、聖人は「日域の高僧」と讃えておられます。

(6) 源信僧都
約千年前、日本の人。「恵心僧都」ともいわれる。
『往生要集』には、地獄・極楽の様子がつぶさに描写され、早く浄土往生の身になることを勧められている。臨終の母君に説法され、弥陀の本願を喜ぶ身となられたことをご縁として、著されたといわれる。

(7) 法然上人
約九百年前、日本の人。「源空」ともいわれる。
親鸞聖人の直接のお師匠。智慧優れ、仏教の大学者であられたことから、「智慧第一の法然房」「勢至菩薩の化身」と仰がれた。勢至菩薩は、阿弥陀如来の智慧を表す菩薩、「化身」とは、その生まれ変わりのこと。
『選択本願念仏集』は、「弥陀の本願以外の総ての仏教を、捨てよ、閉じよ、閣けよ、抛てよ」と徹底された書で、「捨閉閣抛」といわれる。当時の仏教界に、水爆のような衝撃を与えた。『選択集』とも略される。『教行信証』は、この『選択本願念仏集』を解説された著書である。

「このように、インド・中国・日本の七高僧方が、仏教を説かれた釈迦の目的を鮮明にされ、弥陀の本願はどんな人をも救う誓いであることを明らかにして下されたのだ。なればこそ親鸞、救い摂られることができた」
と広大な御恩を喜ばれ、この後、七高僧のお名前を一人ずつ挙げられ、その教えの真髄を要説されているのです。
詳しく解説していきましょう。

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