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釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法

0 3月 31st, 2012

釈迦如来楞伽山 釈迦如来楞伽山において、
為衆告命南天竺 衆の為に告命したまわく、
龍樹大士出於世  南天竺に龍樹大士、世に出でて、
悉能摧破有無見  悉く能く有無の見を摧破し
宣説大乗無上法 大乗無上の法を宣説す

「釈迦如来楞伽山(釈迦如来楞伽山において)」とは、
「釈迦如来が、楞伽山という山で、ご説法しておられた時に」
ということです。
「為衆告命(衆の為に告命したまわく)」とは、
「その時の参詣者に告げられた、予言された」
ということです。その内容を次に、
「南天竺に龍樹大士、世に出でて、
悉く能く有無の見を摧破し
大乗無上の法を宣説したもう」
といわれています。
「南天竺」とは、「南インド」のこと。
お釈迦様は、
「私がこの世を去った後、七百年後、南インドに、龍樹という勝れた人が現れて、真実の教えを弘宣するであろう」
と予言されています。
果たして、その釈迦の予告通りに龍樹菩薩という人があらわれて、
「悉く能く有無の見を摧破」
されたのだ、と言われています。
「有無の見」とは、「有の見」と「無の見」のことです。(いずれも間違った思想。後述します)。その謬見を、
「悉く能く摧破する」とは、
「徹底的に排斥された」ということ。
龍樹菩薩は「有無の二見」を完膚無きまでに打ち破られて、
「大乗無上の法を宣説したもう」
真実の仏法を明らかにされたのだ。
「釈迦が告げられた通りの、龍樹菩薩の大活躍のお陰で親鸞、大乗無上の法を知らされ、救い摂られることができたのだ」
と、厚きご恩に感泣されているのです。

しかし、龍樹菩薩がそのように、聖人からも尊敬されるような偉大な方になられるのは、紆余曲折を経てのことでした。

◇ ◇ ◇

南インド、コーサラ国のバラモンの家に生を受けた龍樹は、聡明な頭脳をもって、幼少にしてバラモン経の四べーダの経文を悉く諳んじてしまった。青年になると、清新な知識を求めてインド中を巡り、天文学、薬学、錬金術、易学など手当たり次第に習得し、学び尽くしていった。
龍樹に出会う者、ただただ学問の深さに驚き、舌を巻くばかり。二十歳の頃には最早、国内に並ぶ者ない天才として、名声はとどろいていたといわれる。
「俺はもう、天下の学問を成し終わった。すでに学ぶべきものは何もない」
若年にして功を成すは身を誤らせる元なのか、傲慢が彼を支配した。

龍樹には三人の勝れた親友があった。類は友を呼ぶのであろう、彼らの学問も人並みではなかった。そんな友人らと交友を重ねていたある時、
「お互いにもう学問は学び尽くしてしまった。楽しみが無くなってしまったな」
一人が言うと、
「何を言うか。確かに学問に楽しみはもうないが、快楽とはそればかりではあるまい。我々はまだ、肉体の歓びを十分に味わっていないではないか」
人生最高の歓楽は情欲にあり、と聞いて若い血潮は騒いだ。四人は、色欲の満足を求めて巷の女性を誘惑し、欲望の餌食としていったのである。

市井に美女を求め、女漁りを続けていた四人は、やがて並の女性では飽きたらず相談の末、城の後宮に忍び込み、国王の寵愛する女性達を、情痴の餌としようと画策する。後宮こそ、国中から選りすぐられた麗人の宝庫。ある晩、夜陰に乗じて龍樹らは巧みに王宮に潜入し、女性たちの部屋を目指す。国王の愛人達は、この意外な闖入者に最初は驚きの色を示したが、別に危害を加えられるのでもなく、彼らの目的が自分たちの肉体であると知ると、もはや騒ぎ立てるような愚かな真似はしなかった。
数十人で、たった一人の国王の寵を競っていた彼女たちにとって、中年を過ぎた肥満体とは対照的な、龍樹達の逞しい魅力的な肉体は却って歓迎すべきものであったのである。
こうして四人は、夜な夜な思いのままに、美女達と戯れあった。

しかし、このようなことがいつまでも発覚せぬはずがない。後宮の微妙な変化を感じとった王は、家臣に調べさせた。事実を知って激怒した王はその夜、宮廷の庭かげに屈強な衛兵を配備して、侵入者を待った。
そうとも知らず龍樹らはいつものように、宮中が寝静まった頃、愛欲の蜜を求めて忍び込んできたが、庭半ばに進んだ時、「賊共を切り捨てよ」の王の号令一下、飛び出してきた群臣の刃に包囲されてしまう。
抵抗空しく、三人の親友はたちまち斬り伏せられ、混乱の中、龍樹だけがなんとか難を逃れたのであった。城外に脱出した龍樹であったが、眼前で斬殺された友の死に、悔悟の念と、激しい無常を痛感したのである。
「俺は間違っていた。情欲こそ災いの元であった。それにしても、何とはかない人間の命であることか。彼らの魂はどこへ行ったのか。俺が死んでたら、一体どうなっていたのだろうか」
以来、龍樹の煩悶は深さを増し、矢も楯もたまらず、魂の解決を仏道に求めたのであった。

出家授戒した寺院にて、早速、小乗経典に取り組んだが、わずか九十日で読み尽くしてしまった。だが、魂の救いは得られない。
そこで、インド北方、ヒマラヤ山の麓、仏跡の散在する地域に秘伝されるという大乗経典を求めて旅立ったのである。

道中、各地に名だたる学者を訪問するが、いずれも龍樹の博識に却って驚嘆するばかりで、師と仰ぐに値する人物に巡り会うことはなかった。
やがてヒマラヤ山中の古びた寺を訪ねたとき、大乗経典を伝持する老比丘に出会うことができた。念願の大乗経典に接した龍樹の歓びは大きかった。経典に基づき、能うかぎりの仏道修行に精進していった。
精懃十数年、修行の峻厳さは古の釈尊もかくやと思われんばかりである。結果、仏覚に至るまでのさとりの五十二位中、四十一位の初地という位まで到達したのである。
自力修行によって四十一位を悟ったのは、釈迦を例外とすれば、龍樹と、後の天親菩薩の兄・無著の二人だけと言われている。
しかし、さすがの龍樹も、初地に至るのが精一杯であった。
「これから、五十段位の十地を超え、仏覚を極める難行苦行の道は、釈尊の如き大丈夫志幹の方ならともかく、?弱怯劣な人間の歩める道ではない。ああ、どこかに、私のような劣機でも救われる法はないのだろうか」
厚い修行の壁に悩む龍樹に、光明は意外な方面から射し込んできた。ヒマラヤの奥深い地域に龍族という部族があり、その長老・大竜が、龍樹を訪ねた来た。
「菩薩よ。我々の村に遠く伝わる経典がある。しかし、未だその真意を会得する賢人がおらず、今日まで経蔵に眠っている。あなたこそ、その経典を伝授するに相応しい方だ。どうか一度、確かめていただけないだろうか」
大竜の言葉に新たな希望を見いだし、龍樹がその村に行ってみると、経蔵には数多の大乗経典が、ぎっしり詰まっていた。龍樹はむさぼるように、それら経典を読破していく。必死にひもといていくうちに、ついに『大無量寿経』を発見、どんな極悪人も救い摂る、阿弥陀仏の本願を知られる。まもなく龍樹は、その弥陀の本願を憶念した一念に、必定の位に救い摂られたのである。
「必定」とは、あと一段で仏という五十一位のことで、「正定聚」とも「等覚」とも、「歓喜地」とも言われる。
魂の解決を果たされた龍樹菩薩は、インドに種々の外道が競いおこり、混乱の極に達していた宗教・思想界に飛び込んで、悉くそれら一切の邪義を打ち破り、弥陀の本願真実を宣布せられたのである。そのことはすでに釈尊が、楞伽山にて説かれた『楞伽経』に、
「未来世に当に我が法を持つ者あるべし。南天竺国の中、大名徳の比丘あらん。その名を龍樹となす。能く有無の宗を破し、世間の中にして我が無上大乗の法をあらわし初歓喜地を得て、安楽国に往生せん」
かく大衆に予言された通りの大活躍であったのだと、親鸞聖人は、
「釈迦如来楞伽山において、
衆の為に告命したまわく、
南天竺に龍樹大士、世に出でて、
悉く能く有無の見を摧破し
大乗無上の法を宣説す」
と仰っているのである。

◇ ◇ ◇

●有無の見●

では、龍樹菩薩が悉く摧破された、「有の見」「無の見」とはどんなことでしょうか。
お釈迦様が仏教を説かれた当時、インドには九十五種の外道がありました。外道とは、仏教以外のすべての宗教のことです。
それらを大きくわけると、断見外道と常見外道の二つになります。
「断見外道」とは「死んだら何も無くなる」という教えです。これを「無の見」とも言われます。「見」とは、そういう考え方、思想、教えのことです。
次に「常見外道」とは、「我々には霊魂なるものがあって、死後、肉体が無くなった後も、変わらずに続く」という教えをいいます。これを「有の見」とも言われます。
当時の九十五種の外道は、このどちらかの教えでした。それは今日でも同じで、真実の仏教以外のすべての宗教は、「有の見」か「無の見」、いずれかに分類されます。
お釈迦様は、二千六百年前に、その有無の二見、どちらも間違いだと教えられました。
『阿含経』というお経に、こう言われています。

「因果応報なるが故に来世なきに非ず、
無我なるが故に常有に非ず」

因果応報とは、因果の理法とか因果の道理といわれるもので、一言で、
「蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える」
ということです。しかも、蒔いたタネと生える結果との関係は、
「善因善果、悪因悪果、自因自果」
と、「蒔いたタネに応じた結果が現れる」ことを「因果応報」といい、これは万に一つ、億に一つも例外のない、大宇宙の真理なのだと、お釈迦様は教えておられます。この因果の道理が、仏教の根幹です。

では、もし断見外道の言うように、「死ねば何にも無くなる」としたらどうなるでしょう。
たとえば一人の人を殺した者が、その報いとして一回死刑にあうとします。ところが十人殺しても死刑は一回、百人殺しても一回の死刑です。死んで無になるとしたら、何人殺そうが一回の死刑で終わり、ということですから、一人殺してしまったら、あとは何人殺しても結果は一緒、殺し得ということになってしまいます。これでは誰も納得がいかないでしょう。
「いや納得できる」という人は、こんな話ならどうでしょう。
一日働いて一万円の給料なら、十日働けば十万円、百日働けば百万円もらえれば納得いきますが、十日働いても、百日働いても一万円しかもらえないとしたら、どうでしょう。それでも納得して働けるでしょうか。誰も働く人はありません。道理理屈にあわないからです。因果の道理に合わないからです。
同じことで、百人殺して一回の死刑にあうとしたら、残りの九十九人分の報いを受ける世界が、死後になければなりません。そうでなければ、大宇宙の真理である因果の道理にあわなくなるからです。
これを、
「因果応報なるがゆえに来世なきにあらず」
「蒔いたタネに応じた結果が現れるのだから、死後は何も無くなるという『無の見』は間違いだ」
と教えられているのです。

次に「無我なるが故に常有に非ず」とは、
「無我」とは「我が無い」ということです。
「我」とは、固定不変の「私」というものがある、ということです。これを仏教の言葉で「常一主宰」といいます。常に変わらない「我」というものがあって、それが死後、肉体が無くなっても続いていく、という考えです。これを「有の見」とか「常見外道」と言われるのです。

それに対して、仏教では「無我」といわれ、そのような常一主宰の「我」というものはない、固定不変のものはない、と教えられています。一切のものは因縁が結びついてできており、因と縁が離れれば消滅するのだということです。それを歌でこう表わされています。
「引き寄せて結べば柴の庵にて
解くればもとの野原なりけり」
庵とは、家のことです。テントを想像したほうが分かりやすいかも知れません。柴を引き寄せて結べば、それで家が出来ますが、結んであるヒモをほどけば、家はあとかたもなくなり、もとの野原になる、ということです。
「家」という変わらないものが、あるのではない。柱や壁や窓や屋根、瓦などが揃って、因縁が結びついて、しばらく「家」と呼ばれているものがあるだけで、やがて因縁が離れれば、あとかたもなくなる。古い家の取り壊しを思い出せばお分かりになるでしょう。
「私」というものも、色々な構成要素が集まり因縁そろってできているものであり、ガチガチに固まった不変不滅の「我」というものが、あるのではない。これを仏教で「無我」といわれるのです。そして、
「無我なるがゆえに、常有にあらず」
「無我であるから、そんな固定不変の霊魂なるものは無いのだ」
と教えられているのです。だから、
「死後も不滅の霊魂があって続いていく。常に変わらないものがある」
という考え方は間違いだと、仏教では「有の見」「常見外道」を完全に否定されているのです。
その釈迦の教えの通り龍樹菩薩も、「有の見」「無の見」を徹底的にぶち破られ、「大乗無上の法」である「阿弥陀仏の本願」を明らかにされたのです。その情熱的な布教は外道の者どもの反感を買い、龍樹菩薩は迫害され、殉教されています。
その命がけの活動のおかげで親鸞、弥陀の救いに遇わせて頂くことができたのだと、龍樹菩薩を大変尊敬され、御恩に感泣されている『正信偈』のお言葉です。

では、身命を賭して龍樹菩薩が布教せられた、大乗無上の法、阿弥陀仏の本願とは、いかなる救いであったのか。次に、
「証歓喜地生安楽」
と教えておられます。

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