Line

証歓喜地生安楽

0 4月 11th, 2012

「証歓喜地生安楽」歓喜地を証して、安楽に生ぜん

最初の「歓喜地」とは、下から数えて五十一段目、あと一段で仏覚という大変高いさとりのことです。
龍樹菩薩は、四十一段まで自力で覚られた、どえらい方ではありましたが、
“とても仏の覚りを得られる自分ではなかった。本師本仏の阿弥陀仏のお力によらねば、救われない龍樹であった”と知らされて、
「私は弥陀の救いによって、この世は歓喜地になり、死後、弥陀の浄土(安楽)へ生まれるのだ」
と言われているのが、
「歓喜地を証して、安楽に生ぜん」
というお言葉です。
この一行で龍樹菩薩は、「現当二益」を教えておられるのです。

弥陀の救いは、この世と未来の二度あることを「現当二益」といわれます。「現益」と「当益」の二つです。
「現益」とは現在の救い、「当益」とは死後の救い、ということです。
阿弥陀仏のお力によって、この世で救い摂られたことを龍樹は、
「歓喜地を証して」
と言われ、死ぬと弥陀の浄土へ往くことを、
「安楽に生ぜん」
と言われているのです。
このように、龍樹菩薩のような偉大な方でも、弥陀の広大な救いに遇い、弥陀の救いは「現当二益」であることを明らかにされているのだよと、親鸞聖人が仰っているお言葉です。

Comments are closed.