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現在ただ今の救い(1)

0 11月 9th, 2009

『正信偈』の初めの二行、

「帰命無量寿如来

南無不可思議光」

について繰り返しお話しをしておりますので、

「早く次に進んでもらえないかな」

と思われる人もあるかも知れません。

が、この初めの二行に、『正信偈』はすべて納まっていますので、

くどいようですが、重ねてお話しさせて頂いていることを、了解して

頂きたいと思います。

つまり親鸞聖人の教えのすべてが凝縮されて いる、初めの二行ですから、

その真意が分からなかったり、誤解していますと、

この後のお言葉の御心も、親鸞聖人の教え全体も、まったく分からなくなって

しまう、ということです。

具体的には、この二行は、

「親鸞、阿弥陀如来に救われたぞ!助けられたぞ!」

という聖人の絶叫ですが、一体、阿弥陀様に、「何を」救われたと言われているのか。

これが分からなければ、この後にどれだけ、

「どうして救われることができたのか」

「救われてどうなったのか」

「どうすれば、救われることができるのか」

ということを『正信偈』に書かれていても、無意味になってしまいますね。

それで先回は、親鸞聖人が「阿弥陀仏に救われた」と言われているのは、

「後生の一大事を救われた」

=「いつ死んでも浄土往生間違いない身に、救い摂られたこと」

であることを、確認しました。

次に、その「浄土往生まちがいない身」に救われるのは、

「死んだ後」のことではない、

「現在ただ今」のことであることを、親鸞聖人は生涯、鮮明にしてゆかれた、

そのことについて、「体失不体失往生の諍論」を通して、お話しいたしましょう。

これは一言で、「弥陀の救いは、死後か、現在か」という、親鸞聖人のなされた

大きな争いです。

「阿弥陀様は死んだら極楽へ助けてくだされるのだ」

と聞き誤っていた人は、今日の浄土真宗の人だけでなく、親鸞聖人当時も、

あったということです。

しかも、同じ法然門下の先輩、後に一宗一派を開く程の学徳のあった俊秀・

善慧房との対立でした。

その発端と結末を次回、詳しく述べたいと思います。

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