正信偈冒頭の二行は、
現在ただ今、弥陀に救い摂られた親鸞聖人の告白であることを重ねてお話ししてきました。
その「現在の救い」を、法友と大げんかしてまで明らかにされたのが、
「体失・不体失往生の諍論」
と言われている、仏法上の争いです。親鸞聖人、34歳の時のことでした。
争いの相手は、善慧房。ともに法然上人をお師匠とする法友です。後に浄土宗を開いた
ほどの優れた人物でした。その善慧房が、大衆にこう説法していたのです。
「皆さん、釈尊がこの世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の本願一つを説かれるためでした。どんな人でも、念仏さえ称えれば、死ねば必ず極楽浄土に連れていくという、有り難いお約束です」
大衆に混じって聞いておられた親鸞聖人は、この悪魔の説法を見過ごされはされませんでした。
「お待ちください!」
手を挙げられ、決戦の火ぶたは切られます。それからどうなったのか。親鸞聖人はこの論争によって何を明らかにされたのでしょうか。分かりやすく描かれた、アニメーションを見てみましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=MK3iY0QxOWI&feature=player_embedded
善恵房 「何でしょうか。親鸞殿」
親鸞聖人 「今のお言葉、親鸞少々腑に落ちません」
善恵房 「何か気に障られたことでも」
親鸞聖人 「先ほど、あなたは、阿弥陀如来の本願は、死んだら助けるお約束、と言われたようですが」
善恵房 「ああ、それがどうかしましたか」
親鸞聖人 「親鸞は、ただ今、救いたもうた本願を、喜んでおります」
善恵房 「何を言われる親鸞殿。今救われたとなそなたは。この世で救われたということがありましょうか。この世はどうにもならんもんじゃありませんか」
親鸞聖人 「この世さえどうにもならぬ者が、死んで、どうなれましょうか。今、溺れて苦しんでいる者に、土左衛門になったら助ける、という人がありましょうか。今、腹痛で苦しんでいる者に、死んだら治すという医者もいないでしょう」
ある弟子 「まあまあ親鸞殿。ここは皆さんもおられることだし、また後ほど……」
親鸞聖人 「いいえ、釈尊ご出世の、ご本懐の中のご本懐である、阿弥陀如来の本願のことです。皆さんにもハッキリと、知っていただかねばなりません」
善恵房 「親鸞殿、いくらあなたがもっともらしいことを申されても、経典にないことでは、仏教ではありません!お経のどこに、この世で救われるという根拠がありましょうか」
親鸞聖人 「もちろん、ございます。阿弥陀如来の本願に、『若不生者 不取正覚』とあります。必ず生まれさせると、誓っておられるではありませんか」
善恵房 「ハハハハハハ……。親鸞殿。それこそ、死んだら助けるということではありませんか。死なねば、生まれることはできませんからね。やはり、死んだら極楽へ生まれさせる、というお約束ではありませんか」
弟子 「なるほど、善恵房殿の言われる通りですなあ」
二人 「ハーッハハハハハハ」
親鸞聖人 「善恵房殿、誤りはそこです。あなたの誤りは、実にそこにあるのです」
善恵房 「何ですと?」
親鸞聖人 「死ぬとか、生まれるとかは、肉体のことだけではありますまい。肉体は、死ねば焼いて滅びるもの。肉体よりも、心を重く見るのが、仏法ではありませんか。阿弥陀如来は、私たちの暗い心を、明るい心に生まれさせると、誓っておられるのです。これが、弥陀の本願ではありませんか」
老婆 「心を生まれさせる……?」
(親鸞聖人、その老婆にも目を向けられて)
親鸞聖人 「そうです。心をです。何のために生まれてきたのか。何のために生きるのか。なぜ、生きねばならないのか、分からないでしょう。後生暗い魂を抱えて、生きてはいませんか」
老婆 「うーん、そうじゃな」
親鸞聖人 「私たちの、その後生暗い心を、大安心にしてくださるのが、弥陀の本願です」
(襖がスッと開き、法然上人が本堂に入ってこられる)
参詣者 「あ、法然さまだ」
弟子 「お師匠さまだ」
(善恵房、高座を譲る)
法然上人 「そうだ。親鸞の言う通りじゃ。この法然もただ今、救われたことを喜んでいる。今、救われずして、どうして未来、助かるだろうか」
法然上人 「よいかな。皆さんもよーくお聞きなされ。ここは間違いやすいところです。阿弥陀如来の本願は、この世から未来永劫、助けたまうお約束。誤ってはなりませんぞ」
一同 「ははーっ」
弟子A 「お師匠さま」
善恵房 「……」
「後に、浄土宗を開いたほどの、善恵房証空も、その過ちを、この時聖人に徹底的に打ち破られたのであった。これは今日、親鸞聖人の三大諍論の一つとして、『体失不体失往生の諍論』と伝えられている」
大変重い内容ですね。ここで、阿弥陀如来の本願の
「若不生者不取正覚」の
「生まれさせる」
の意味が、論じられています。
親鸞聖人は、この「生」を、
「現在ただ今、後生暗い心を明るい心に生まれさせること」だと、明らかにされているのです。
これはまた、聖人90年の生涯、強調して、説き続けていかれたことなのです。
次回、詳しくお話ししましょう。